About Sunny / サニー横山
1976年生まれ、島根県出身。
1998年、パイロットの資格習得のため単身渡米。カリフォルニア州アルプスナイスエアに入校し事業用、多発、計器飛行、飛行教官など数々のライセンスを修得。
2000年からはインストラクターとして従事しながらエアロバティックスの訓練も行い、エアロバティックスのインストラクターとして、FAAインスペクター、エアラインパイロット、米軍戦闘機パイロットなど多数のパイロットとの飛行経験を持つ。
アメリカでの競技会参加、アシスタントジャッジの資格も習得したのち、2004年8月、兵庫県コウノトリ但馬空港でエアショーパイロットとしてデビューし、2009年度までエアロックのチーフパイロットを務める。


Profile
名 前  横山 真隆  よこやま さねたか
TACネーム  SUNNY   サニー        ※TACネームとは、無線通信時、便宜上使われる愛称。

  ◆ Sunny's Chronology (年表)    ◆ これまでのイベント参加実績    


▼ TACネーム:SUNNY の由来
SUNNY という言葉には、「太陽がさんさんと輝く・よく晴れた」という意味があります。
この言葉の意味が、TACネームの由来そのもののように思えますが、サニーと呼ばれることになったきっかけは、
実はアメリカにあります。 サニーがライセンスを取りにアメリカに行っていた頃、アメリカの仲間が「さねたか」の「さね」を
「サニー」と言ったことから、サニーと呼ばれるようになったのです。
偶然にも「晴れ」を意味する言葉で呼ばれるようになったサニー。 エアショーパイロットとしてはぴったりの名前を、
サニー自身も大変気に入っています。 まるでエアショーパイロットになるのが必然であったかのようです。




▼ パイロットへの憧れそしてエアショーパイロットへ
サニーの地元には、航空自衛隊の美保基地があります。 幼い頃からその飛行機を見上げながら、
サニーは「飛行機はどんな人が操縦してるんだろう?きっとスーパーマンみたいな凄い人が操縦しているんだろうな・・・」
と強い憧れを抱き、パイロットになりたいという夢を持ちます。
しかし、パイロットの道へ思うように進んでいけない時期が続きました。 それでも、パイロットへの夢をどうしても
叶えたいと思い続けたサニーは、単身アメリカへ渡り、自力でライセンスを取る道を選びます。
航空学校:アルプスナイスエアに入校し、いくつもの試験をクリア、念願かなって航空ライセンスを取得しました。
取得後、その先やるべき事を模索していたサニーに、「操縦を教えてくれた人がいたから、君の夢は叶ったんだ、
今度は、人の夢を叶える側になってみないか」そう声をかけられ、インストラクターの道へと進みます。
また、生徒を教える傍ら、自らもエアロバティックの訓練に励み、競技会などでも活躍していました。
ちょうどその頃、日本エアショー界の第一人者であった、エアロック:ロック岩崎がナイスエアを訪れていました。
自由自在に、立体的にフライトするエアロバティックスに興味を持っていたサニーは、ロックの誘いもあり、
エアショーパイロットとしての道を進むことになったのです。




▼ サニーとエアロバティックスの出会い
サニーに操縦を教えていたインストラクターが、少しエアロバティックスをやっていたことから、
サニーは、エアロバティックスに出会います。
初めて体験したときは、右も左もわからず、ただただ気分が悪く「なんじゃこりゃ!?」そう思っていました。
しかし、ただ水平にフライトするだけではない、3次元の動きをするエアロバティックスこそ、
「空を飛ぶ」ということ、飛行機の魅力を、一番感じていられるものだと思い、エアロバティックスを始めました。




▼ 夢を叶えることへの想い
サニーの夢を叶えることに対する想いはとても強いものがあります。
「人は本当の目標が出来ると、やる気がわいてくる。自分を変えることが出来る。」
かつて、凄い人が操縦していると思っていた飛行機を、今は自分が操縦している。
けれど、自分は特別凄いわけではなく、いたって普通。
こんな僕でもパイロットになれたのだから、強い想いを持ち続け、本気で挑んでいたら
きっと夢は叶うものだと、サニーは信じています。
私達のエアショーから、空・飛行機の魅力だけでなく、挑戦し続けることが大きな力を生むということも、
伝えていけたらと思っています。





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